• 2014.08.29 Friday
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- | -| pookmark |
年末に事務所のデスクを片付けて、以来3週間。まだ辛うじてグジャグジャになっていない奇跡を素直に喜びたい。大したものだ、ワタシ。やれば出来るじゃないか。

どうしてこの様にデスクが比較的片付いた状態で推移しているかと言うと、簡単でありましてね。捨てているんです。要るモノはファイルする。要らないモノは捨てる。

で、今までファイルが必要かどうか判らない「グレーな書類」が捨てられずにデスクの上に堆積していたのですが、今年は全部捨てることにしました。悩んだら捨てる。そうしたらデスクがいつでも片付いているのです。

実は先日の日記で「断捨離」について言及しました。コレはきな臭いと思うと書いています。ワタシは本当にそう思っています。

ワタシがデスクの「グレーな書類」はきな臭くも何もありません。ただのゴミです。世間で騒がれている「断捨離」と言うのはどうもそんな単純なモノでは無さそうです。

「断捨離」の説明を下記のようにまとめているブログがありました。

断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れる

一見理に適っているような感じがしますけれど、果たしてどうなのでしょうか。

ワタシにとって「要らないモノは無い」です。「あるのは要るモノだけ」なのです。

ワタシの家に有るモノは「ガラクタではない」のです。音楽という文化、文学という文化なのです。

ワタシの「モノへの執着」は、即ち「音楽と言う文化、文学と言う文化への執着」なのです。

「断捨離」を勧める本がベストセラーになっていますが、ワタシにとってそのような本を買うこと自体に矛盾を感じます。モノを買わないことこそ「断捨離」の掟なのではないでしょうか。そのような矛盾で銭儲けしている人々こそ「断捨離」されるべきなのではないですか。

まぁ、せいぜい、ハウジングセンターのモデルハウスや、茶室のような部屋に住んだら良いんじゃないですかね。人間の営みも何も感じられない生活。「断捨離」の理想像なんて下らない薄っぺらなモノに思えてなりません。理由は簡単。「文化の不在」です。

茶人か僧侶にでもなるなら必要かも知れませんが、そんな人にはそれこそ「釈迦に説法」でしょう。どうぞ皆さま、欺されないようにね。
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