事務所を新橋から新大久保に移して5ヶ月が過ぎた。さすがに慣れた。不自由はないと言えば嘘だが、エリアに慣れたことは間違いない。どこに何があるかほぼ把握できた。距離感もつかめた。
このエリアの食べ物屋の分布や、その中での自分の挙動も十分に判った。新橋と大きく違うところを上げるなら、選択肢が無いに等しいことだった。食べたいモノが限られてしまったのだ。新橋は天国だった。コレは前にも書いたかも知れない。
新大久保と言えば「韓国料理のメッカ」でエスニック料理好きからは「うらやましい」とか言われるが、コレがどうにもこうにも…。ワタシが普通の日本人だからなのかも知れないが、毎日食べたいモノではないと言うことだけは痛感した。
韓国家庭料理は決して嫌いではないはずのワタシだが、コレだけ韓国家庭料理が溢れかえった街なのにもかかわらず突出した店がない。実に魅力に乏しいメッカなのだ。
どんなに有名な店に入って食べても、また、無名で小さな店に入っても、その味に大した違いがないのだ。ドチラもとても美味しいのなら何も文句は言いませんが、ドチラもソコソコ止まりで、取り立てて大騒ぎしたくなる魅力を微塵も感じることができないのだ。
コレはワタシの食に対する感性の鈍さなのか、韓国家庭料理の持つ限界なのかは判らない。しかし、ワタシのランチタイムに韓国家庭料理は選ばれないことになってしまった。
コレだけたくさんの韓国家庭料理の店があるのに、ドコで食べてもドングリの背比べじゃお話にならない。しかもお値段がお高いのだ。街全体で闇カルテルを締結しているのではないかと疑いたくなる。
コレら韓国家庭料理店に共通した特徴がある。客に韓国人がいないコトだ。韓国人から聞いたトコロによると「新大久保は韓国食材がなんでもあるから無くては困る。ただし食事は高いから、あんなトコロでは食べない」と言う。なるほどねぇ。
要するに新大久保は「韓僑によって作り出された日本人から円を巻き上げるシステムの最前線基地」と言うコトだ。実際に円を吸い上げられているのは韓流ブームに乗ってこの街を訪れたマダムやマドモワゼルである。
それが判ったらエリアで仕事をしているワレワレが韓国家庭料理に近付かなくなるのも道理である。
このエリアからザックリと韓国家庭料理とか延辺料理(北朝鮮と中国の国境付近の料理)をデリートすると、極めて少数派の「普通の食べ物屋」が見えてくる。ワタシはその辺を食べ歩いて露命をつないでいるのです。
ワタシが「韓国家庭料理」を食べるのは、新大久保に縁がない方たちとの「宴会」とか「会食」だけだ。
このことで思い出したのは、ワタシがシンガポールに行ったときのことだ。仕事も絡んでいたので、某大手メーカーの支社長が夕食に招待してくれた。ショッピングモールの「HIELEN」の向かいにある「ヌーベル・シノワ」の名店だ。美味しいなんてモンじゃない。目から火花が飛び散るほど美味しいのだ。
仕上げに出された「海老と海老味噌クリームソース」の残りに海老子を散らして麺を絡めたモノを食べたときには、余りに常軌を逸した感動的な美味さに、巻いた舌がもつれて元に戻らなくなったくらいだ。
その後カラオケに移動して飲んでいたら、ごちそうしてくれた支社長がポロリと言った。「毎週末にお客様が来星されて毎週食べていると、もうコレが苦痛でしかありませんね」と。その真意が今、体感されている訳です。
今日も遠来のお客様を新大久保にお迎えして、お客様たってのご希望により「韓国家庭料理」にお連れします。たぶんリピータにはならないと思いますけれどね。
ワタシのお勧めは「魚河岸料理・仙力」なのですが、コチラは皆さんリピータになっていらっしゃいます。これから新大久保にいらっしゃる方は、ぜひその辺をご理解いただきたいと切に望んでおります。